PROJECT 01

MIRAIにつながる「諦めない心」“高圧水素用ステンレス鋼”開発秘話

2014年12月15日。トヨタ自動車は世界初の燃料電池自動車(FCV)「MIRAI」を一般販売した。
MIRAIには愛知製鋼が手掛ける素材「高圧水素用ステンレス鋼」が採用されており、
その開発の歴史を辿ると20年以上前まで遡るという。今回は信念を貫き通し、
高圧水素用ステンレス鋼開発を行なったキーパーソンにお話を伺った。

  • 中川 英樹
  • 技術本部 技術開発部 主査 兼 第2開発室 室長 博士(工学)

当社と水素の関わりは1993年から始まっていた。

愛知製鋼が燃料電池車のための「高圧水素用ステンレス鋼」開発に取り組み始めたのは2000年に入ってから。しかし水素との関わりという視点で言えば、話はさらなる過去に遡るのだという。「当社は1993年から『液体水素環境下における材料評価・開発に関する国家プロジェクト』に参画していて、それが高圧水素用ステンレス鋼開発の原点になりました。」そう語るのは、現在、技術開発部で主査を務める中川英樹。中川は入社2年目の1994年から、多数の企業が参画する国家プロジェクトに研究者として参加した。「何しろ国家プロジェクトですから、周りの人は皆、各企業の名だたる研究者ばかり。そこに経験の浅い私がいたのですから、今思い返すとゾッとしますね。」そんな中、中川は与えられたテーマの研究を続けた。これがやがて、MIRAIに採用された「高圧水素用ステンレス鋼」開発の“足がかり”となる。

いつか走るから、やろう!自ら主張し参加し続けた
国家プロジェクト。

2002年、世界で初めて燃料電池車がリース販売されたのを機に、プロジェクトは方向転換。燃料電池車を走らせるために高圧水素ガス環境下での材料評価を行うことになった。「実はそのタイミングで、プロジェクトへの参加を続けるか否かという話になって…本当のことを言えば参加継続を疑問視する意見もありました。燃料電池車の量産なんてまだまだ先の話だろうと。限られた工数のなかで、他にも取組むべきテーマもありましたから。」中川はそう当時の様子を振り返る。しかしプロジェクトで知り合った様々な業界の識者と話し、ときには国際会議で世界最先端の技術を目にした中川には、近い将来に必ず燃料電池車の時代が来るという確信があった。「いつか走るから、やろう!」そう主張し続けた中川は、当時係長の立場ながら研究開発会議に出席してプロジェクトへの継続参加を直談判。研究者としての情熱が伝わったのか、最終的には参加を継続することになった。その後プロジェクトで得た知見をベースに、中川の高圧水素用ステンレス鋼の開発は着々と進む。「時には夜通しで開発に取り組んだこともありましたね。」と懐かしそうに当事のことを振り返る。彼自身は2011年に開発現場を離れたが、後進がその後を引き継ぎ、ついに世界初の量産型燃料電池車「MIRAI」が発売。愛知製鋼の高圧水素用ステンレス鋼が採用されるに至った。「いつか」は想像よりも早く到来し、水素時代がここに幕を上げたのである。「実際には、量産車に採用されるステップが一番大変で、今があるのは、後進たちのおかげです。」中川は控えめに語る。

仕事で最も大切なのは「自分自身のモチベーション」でやれているかどうか。

「あの時、私が継続しないという選択肢を選んでいたら、MIRAIに私たちのステンレス鋼は使われていなかったと思います。愛知製鋼はトヨタグループ唯一の素材メーカーなので、燃料電池自動車の時代が来たら水素に強い素材はキーになる。そんな思いがあったから自分の意見を貫き通せたのかも知れません。自ら言い出した仕事のほうが楽しいですよ。」若い人には是非モチベーション高く、自信を持って自らの意見を発信してほしいと語る中川。将来は若い研究者や技術者のためにも「成果がもっと見える、成果が感じられる技術開発」を目指したいと今後の目標を語る。どんな目標達成にも、常に一人ひとりの「諦めない心」が備わっているのだ。

「MIRAIが発表された時は、どんなお気持ちでしたか?」。インタビュアーからの問いかけに、中川氏からは意外な答えが返ってきた。「正直なところ、こんなに大々的に発表しないでくれと内心思っていました。技術者の心境としては、どこかで自分たちの手掛けた素材が原因で不具合が出ないか不安なんですよ。」大きな仕事には、それだけ大きな責任がついてくる。しかし、プレッシャーと向きあいながらも、信念を貫き通しチャンスを掴み取る。そんなやりがいのある仕事が愛知製鋼にはあると感じた。

※上段:(株)ハマイ製 水素ステーション用充填ノズル
※下段:(株)フジキン製 高圧水素用逆止弁(左)、同手動弁(右)

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