第2回

高性能マイクロ磁気センサアモルファスワイヤMIセンサ発明ものがたり

I スマートフォン、腕時計用電子コンパスの出現

電気エネルギー環境の整っていない極寒の移動テントの中や、アフリカ密林湖畔の原住民の小屋の中でも、若者たちの必需品は携帯電話・スマートフォンです。2017年現在、世界人口63億人に対して携帯電話、スマートフォンの年間生産台数は約10億個です。単純計算でも6年後には人類全員が保有することになります。この2010年以降世界的に爆発的に発生した社会現象は、(インターネットを基盤とした)「ウエアラブル情報端末機器時代」と言われます。この携帯電話・スマートフォンには、愛知製鋼(株)(2015年からは、愛知製鋼(株)とローム(株)2社生産体制)生産のMIセンサが電子コンパス用地磁気センサ素子として多数使用されています。

この電子コンパスとは、スマートフォンなどにGPS端末とともに組み込まれた標準チップであり、ユーザは、GPSで自分の位置を知り、電子コンパスでその位置での自分の向いている東西南北の「方向を知る」ことができます。この「方向を知る」ということは、具体的なサービスとしては、自分の行きたいところの地図を画面に表示し、「自分の向いている方向に地図画面が自動的に回転(heading)」するサービスのことです。

この方位を検出する手段として、地磁気センサチップを用いています。地磁気の磁力線は、南極点近くから発生し、地球表面を覆って北極点近くに吸い込まれている安定な定常的静磁界であり、南極、北極近くの磁界の強さは約 680 ミリガウス(mG)、伏角は90°(垂直)近く、赤道では約330 mG, 伏角は0°(水平)、名古屋・東海地域で約480 mG, 伏角は約45°です。ところで、携帯電話・スマートフォンのユーザは、画面の角度を水平面から好きな角度で使いますから、組み込んだ地磁気センサは、3軸の地磁気ベクトルセンサが必要であり、この検出磁界から水平面の磁界を信号処理技術で算出し、その上で水平面内の方位を決定することになります。このときの方位検出精度は、headingが平滑に行えるよう角度にして0.1°が必要であり、磁界の検出精度は0.1 mGが必要です。この磁界検出精度は、従来の磁気センサの場合、高感度磁気センサであるフラックスゲート磁気センサ(FGセンサ)では楽にクリアできますが、FGセンサは磁気ヘッドの長さが長く(5mm以上)、消費電力が大きい(10mW 以上)ので、原理的にスマートフォンに組み込まれるマイクロ寸法チップにはなりません。

一方、従来のマイクロ寸法磁気センサであるMR素子、ホール素子などは、磁界検出感度が低いため信号処理消費電力が大きく、使用困難です。マイクロ寸法で感度が比較的高い新しい磁気センサ類(GMR素子、TMR素子)は、動作点設定用のバイアスマイクロ磁石を使用するため、強い外乱磁気ショックで動作点がずれ、これも使用困難です。この「外乱磁気ショック」とは、私たちの日常生活で身近にある磁石などに近づいたときの磁界のことです。電子コンパスは腕時計にも組み込まれていますが、この場合は人間の腕(手首)の自在な動きにより、強い磁気刺激を無意識に度々受けることになります。また、クルマの車内で使用するときは、ダイナモ磁気や車体残留磁気を常時受けるため、磁気センサは広ダイナミックレンジが必要です。そうでなければ、高感度磁気センサは、強い外乱磁界で飽和してしまい、地磁気センサとしては感度ゼロとなってしまいます。

アモルファスワイヤMIセンサは、高感度・高精度・広ダイナミックレンジ・超微小消費電力・マイクロ寸法・耐磁気ショック性・高速応答・温度安定性などの8種類以上の仕様を同時にクリアできるチップであり、仕様の高度化とともに、磁気センサの中で独走状態にあると言えます。とくに、2013年からの腕時計用の電子コンパスでは仕様レベルが一段高く、MIセンサ以外は使用不可の状態になっています。

このスマートフォン、携帯電話用電子コンパスの世界的かつ爆発的普及は、科学技術文明史的に見れば、以下のような特徴で考えられます。

  • (1) 地磁気(geo-magnetism)が一般の人々に日常的に利用される人類史上初めての社会現象である。
    地磁気は、英国の医師ギルバート(Gilbert)によって1600年刊行の書籍 De Magnete によって公開され(発見後の没後25年公開)、地磁気はそれまでの中世キリスト教会主張の北極星からくるものではなく、「地球自体が磁石である」ことによることを、実証データを基に解明された。
    スマートフォン用電子コンパスでの地磁気活用は、ギルバートの地磁気発見から400年以上経ってのことである。この大発見により、ギルバートは欧米科学の租とされている(欧米科学は1600年に誕生した)。
    現代では、地学、生物学によって、地磁気は約27億年前に発生し(地球誕生は43億年前)、地表を宇宙線被爆から遮蔽したため、海中の生物の地表進出を可能にした、と説明されている。
    具体的には、太陽活動(核融合)で地球に向けて噴射されたプロトン(H+)流が、地磁気磁力線に巻きつき(電磁気の左手の法則)、磁気圏に滞留(電離層を形成)していることが説明されている。この大量のプロトンの地磁気磁力線での巻きつきで地磁気の大きさが1mG 以上減少することが「磁気嵐」のメカニズムである。(この太陽によるプロトン噴射(太陽系のプロトン充満)は、2016年に太陽系を脱出した宇宙探査機ボイジャー1号の測定で確認された。)人類もこのプロトンを体内に摂取し、細胞のミトコンドリアでプロトン流を利用して生体細胞エネルギーATPを生成している(ATP生理学)ので、生物すべては太陽エネルギーで生かされている機序が明確になっている。(磁気圏滞留のプロトンが、地表に到達するメカニズムは、プロトンの水素結合エネルギーと水蒸気による雲の形成(雲のプラス帯電、雷発生)そして雨の発生で説明可能になった。)電子コンパス・GPSによる方位検知は、高度マイクロ磁気センサによる生物にとって最重要の磁気環境の情報科学技術的利用であるといえる。
  • (2) スマートフォン用電子コンパスは、磁気センサの淘汰と高度化のるつぼである。
    情報化社会の急速な進展の結果、電子情報機器が、日常的に一般の人々に密着携行される時代に至った。しかし、この社会現象は、電子機器類にとって嘗てない過酷な仕様を突きつけられる未経験の状況を生んでいる。すなわち、密着整合すべき対象の人体は、極めて強靭堅牢かつ超高感度感覚と超柔軟な機能をもつ進化体である。人体は、NdFeB超強力磁石を短時間密着してもなんともない。(総務省、ICNIRP, IEEEによるヒトに対する磁界曝露基準)ヒトは数万年かけて適者生存で進化してきた哺乳類の1類である。電子コンパスは、情報電子機器の使われる場所が変化しただけではない。超強靭・超高感度・超柔軟な存在であるヒトの行動に整合する諸性能をすべて兼備する電子機器として使用されるものであり、これまでの電子機器研究者・技術者の根源的な意識改革を強制している。磁気センサの分野でも、これまでの単能評価センサは全く通用しない事態に直面していることを自覚する必要がある。
  • (3) 電子コンパスの使われ方は、高度都市社会のパーソナルセキュリティ感覚も反映していると考えられる。欧米諸国とともに、日本も高度成長期を終了し、その結果、人々は大都市に過度に集中して暮らすようになっている。そこでは、日常的に各種の情報が溢れ、人々は各種の便利で快適な公共の乗り物や安くても高性能の自家用車を駆使して行動する生活を強制されている。大都市内のビジネス行動も瞬時の環境変化に即座に対応する必要がある。歩行も瞬時に判断する必要があり、スマートフォンの電子コンパスも必需品となっている。大都市歩行で迷うことは、瞬時のパニックであり精神ストレスになる。大都市行動では、自身の精神ストレスコントロールが益々重要になっており、電子コンパスは、精神の健康を保つパーソナルセキュリティのツールである。

II スマートフォン、腕時計用電子コンパスとMIセンサ

上記のように、スマートフォン等の電子コンパスの出現は、磁気センサにとって厳しく淘汰される戦場になっています。アモルファスワイヤMIセンサはその原理が1993年に発見されて2017年現在で24年が経過していますが、上記のように8項目以上の仕様を同時にすべてクリアする高性能マイクロ磁気センサであることが再評価され、その新規性が益々輝いているように見えます。ここでは、電子コンパス技術を念頭に、MIセンサの原理の発見や磁気センサ回路の発明の経緯を含め、その構成のポイントを外観します。

1980年代は、パーソナルコンピュータ(パソコン;PC)が急速に高度化した時代でした。時代のスローガンは「マルチメディア時代の到来」でした。社会の気分としては、現在のスマートフォン時代の出現に似たところがあります。コンピュータ技術では、32ビットがキーワードであり、それまで分割処理していた漢字一字が1回の処理でできることになります。と同時にメモリの大容量化が必要になり、磁気記録分野でも高感度の磁気ヘッドが必要になりました。しかし、それまでのMR素子やホール素子では感度が不足し、深刻な問題となりました。これに対して、1988年にパリ大学のA. Fert 教授(2004年ノーベル物理学賞)が強磁性膜/導体膜/反強磁性膜の多層膜でのGiant Magneto-Resistance (GMR) 効果を発見し、マイクロ寸法の磁気ヘッドでMRの数倍の磁界検出能力があることを発表しました。しかし Fert教授の発見は、導体中の伝導電子のスピン磁気モーメントが外部磁界の影響を受けることを見出した点に新規性があり、世界的にスピンエレクトロニクスと呼ばれる新たな研究領域を生み出しました。高感度のGMR形磁気ヘッドは、その後1996年に東北大の宮崎照宣教授が発見したトンネル効果MR(TMR)へと発展し、大容量磁気記録ヘッドへ応用されています。

1990年代に入ると、パソコンなどコンピュータ同士を通信ネットワークで結ぶ構想が注目され、この電子情報技術の革新の方向の中で、磁気センサは磁気ヘッドだけでなく環境センシングなどの機能も備えた情報センサの方向で意識されるようになりました。東海地域では、2005年愛知万博・2005年ITS世界会議での先端技術デモとしての「会場間の無人運転バス」構想が早くから検討され、屋外でも使用できる高感度でロバストなマイクロ磁気センサが必要になりました。

名古屋大学は、この情報ネットワークへの科学技術とともに、自動車・ITS科学技術の高度化研究の社会的要請を強く意識する環境にあり、筆者の研究室では新規な高感度マイクロ磁気センサの創出を目指すことにしました。そこでまず、1970年代からの研究ツールであるアモルファス磁性体(薄帯)、それを基礎に発展した1981年来のアモルファスワイヤの新規な磁性機能を探索することにしました。簡単には発見できないだろうが何かが出るだろう、との予感は持っていました。

このアモルファスワイヤの新規な磁気センサ機能の探索は、まずユニチカ(株)内地研究員の川島克裕研究員(現愛知製鋼(株)スマートカンパニ、博士(工学、名古屋大学))が担当し、零磁歪系アモルファスワイヤにピックアップコイルを設置せず交流電流を通電する方式で実験を重ねました。その結果、ワイヤ両端間の交流電圧波形の中の微小なパルス電圧が外部磁界で変化することに気がつき、そのパルス電圧のみを選択する抵抗ブリッジ回路方式の高感度磁気センサ素子を構成しました。これはFGセンサなどで常識的になっていたコイルを使用しない高感度磁気センサであるため、欧米ではMagneto-Inductive element として、2017年現在なおISI論文引用件数が増えています。

川島研究員の内地研究期間が終了し、このアモルファスワイヤ磁気センサ機能探索実験は、1993年4月から、同社の武士田健一研究員(現愛知製鋼(株)スマートカンパニ、博士(工学、名古屋大学))が引き継ぎました。そこで新たにアモルファスワイヤの交流通電電流の周波数の影響を探索しました。すぐに、未探索の高周波領域(約10kHz以上)では、抵抗ブリッジ回路が動作しなくなることが分り、ブリッジ回路方式を棄てて思い切り高周波電流の影響の探索に進みました。そこで5月19日、武士田研究員の実験グラフにこれまでの磁気技術では見たことのない特性が出現しました。武士田研究員は「離れた研究室入り口のスチールドアを誰かが開けると、波形が大きく変化する。」と言っていました。

すぐに、当時当研究室に外国人研究員として滞在中の磁性理論物理学のDr. L.V. Panina (ソ連科学アカデミー上級研究員、現英国プリモス大学教授) と議論を重ね、武士田周波数特性実験データには、表皮効果のような現象が出ているらしいと気がつきました。急ぎLandau 電磁気理論の合金ワイヤのインピーダンスの式で表皮効果近似式を求め、ワイヤ円周方向透磁率の平方根でインピーダンスが直接変化することを確認しました。この新規な現象発見の衝撃は、武士田研究員のさらなる実験:アモルファスワイヤ(直径30ミクロン)の電極間長さを1mm程度に短くしても磁界検出感度が劣化しない、という結果で倍加しました。筆者は過去10年間FGセンサを研究し、高感度であるFGセンサでは磁気ヘッドを数mmより短くすると磁界検出感度が劣化することを知っていました。そしてFGセンサのこの基本的欠点で磁気記録ヘッドに使用されないことも知っていました。そこで、この新現象を「磁気インピーダンス効果(Magneto-Impedance effect)」と呼ぶことにしました。これまでにない高感度マイクロ磁気センサの新原理発見の瞬間です。

この確信の下、早急にやるべきことは、研究のオリジナリティを確立する「特許の申請」です。当時の日本の大学ではこの感覚が薄く、折角の優れた研究成果のオリジナリティを欧米に掠め取られる事件がたびたび発生していました。当時の大学研究者は、新規発見をいち早く海外英文学術誌に投稿すればよい、という思い込みがあり、査読の段階でリークすることに気がついていない状態でした。筆者は当時同教室の名古屋大学の赤崎勇教授(現名城大学終身教授、2015年ノーベル物理学賞)を見習い、文部科学省独立行政法人科学技術振興機構JSTに明細書を郵送し特許申請を依頼しました。特許権は出願人のJSTに帰属しますが、研究の自主性の基盤は確立できます。

この特許申請依頼を受けて、当時のJSTから有能な若手機構官の大日向拓二係長が名大の研究室に来学、筆者の説明を受けて、早速JSTの研究支援の提案を行ってくれました。国立大学の研究室にとってこの「国からの研究支援」は、大変勇気付けられるものでした。しかし、「この磁気インピーダンス効果はアナログ現象の発見であり、このままではディジタル志向の企業の技術者は関心を示さない。企業の技術者が関心を持てる電子回路技術(集積回路化可能な)レベルまで進むこと。」という条件つきでした。

この提案は当時から欧米の大学研究者にとっては当たり前のものでしたが、筆者にとっては気の重いテーマでした。「科学技術は、大学教授が新原理を発見し、企業で技術開発・実用化されるもの」という観念が一般的だったからです。筆者は、1976-1977年の10ヶ月間、英国ウエールズ大学カーディフ校(ウオルフソン磁気工学研究所)に文部省派遣長期海外研究員として10ヶ月滞在しました。その間、Industry Day では企業人を招待した大学研究説明・展示会などがあり、日本のアカデミズム尊重の環境からみれば意外な感がある産学連携の姿を度々見てきました。産業革命発祥の国の大学の実態を垣間見た思いでした。

幸運なことに、筆者の研究室に電子回路の好きな大学院生(菅野崇樹院生)が入ってきたので、早速上記のテーマに取り掛かりました。集積回路化が可能な高感度マイクロ磁気センサを目指し、マイコンタイミング回路のCMOSインバータマルチバイブレータ発振回路を用いることにしました。そこでp-MOS, n-MOS同時オン時の電源ラインパルス電流に着目し、このパルス電流をアモルファスワイヤに通電してみたところ、パルス立ち上がり時間が約 10 ns であり、丁度表皮効果が発生して、「パルス磁気インピーダンス効果」の発見に至りました。菅野院生は間もなく、CMOSインバータ発振回路の出力電圧をパラメータ可変の微分回路に通して、パルス磁気インピーダンス効果を発生させるパルス電流の柔軟な構成方法を見出しました。(菅野院生は、1997年度日本応用磁気学会論文賞に表彰) 磁気センサの出力回路側には、リニア磁気センサ特性を得るために、アモルファスワイヤにピックアップコイルを設置し、低域フィルタ回路を介してパルス電圧から直流電圧分を出力電圧とする従来のセンサ回路方式としました。

なお、上記磁気インピーダンス効果を、1993年8月に仙台市で開催の8th Rapidly Quenched Metals Conference (RQ-8) で発表したところ、米国ボストン大学のProf. F.B. Humphrey (IEEE Fellow), 3M の Dr. K.V. Rao (IEEE Fellow、後Swedish Royal Institute of Technology 教授) が注目し、翌年IEEE INTERMAG’94, St. LouisのSpecial Symposium on Magneto-Impedanceが開催され、磁気インピーダンス研究が欧米を中心に世界に拡がっていきました。2017年現在もINTERMAG のセッション名にMagneto-Impedance が出ています。(筆者はこの研究成果により1995年IEEE Fellow に表彰され、2010年に IEEE Life Fellowとなりました。)

さて、1993年のアモルファスワイヤの磁気インピーダンス効果の発見から4年を経て、アモルファスワイヤパルス磁気インピーダンスCMOS電子回路による集積回路化可能な高感度マイクロ磁気センサ電子回路の構成に辿りついたため、JSTは1998年先端技術展開試験制度による「高感度マイクロ磁気センサ(MIセンサ)開発ハイテクコンソーシアム」を開催しました。国が仲立ちになって、アモルファスワイヤCMOS IC磁気インピーダンス効果磁気センサを企業に技術移転するためのコンソーシアムです。このMIセンサハイテクコンソーシアムは、名古屋大学と企業7社による共同研究開発組織体です。

この7社のうち、愛知製鋼(株)が1999年-2002年にJSTの委託開発制度により「自動車用磁気インピーダンス素子の開発」に取り組み、2002年に開発の成功認定を受けました。この間、開発過程でアモルファスワイヤCMOS IC MIセンサの温度安定性の向上が課題となり、筆者の研究室で川尻直樹大学院生(現トヨタ自動車(株))と取り組み、SBダイオードからアナログスイッチ方式に替えて成功しました。そしてアモルファスワイヤCMOS IC MIセンサの締めくくりとして、蔡長梅博士大学院生(現愛知製鋼(株)スマートカンパニ)が無線方式の周波数変調MIセンサを考案し、2004年3月に博士(工学;名古屋大学)の学位を取得しました。筆者は2004年3月名古屋大学を定年退官しました(最後の大学国家公務員)。

2000年12月18日、MIセンサの研究開発、販売を主な業務とする研究開発型の企業:アイチマイクロインテリジェント株式会社(AMI)が、愛知製鋼(株)の100%子会社として設立されました。当時の大橋会長殿が名古屋大学の松尾総長と面談、AMIを愛知製鋼と名古屋大学の連携の場となるよう提案され、松尾総長も精神面での全面協力に同意されました。筆者のAMI取締役就任(国立大学教授との兼業)もその席で合意され、3箇月後の人事院事務局長の辞令で実現しました。AMIの名古屋市天白区植田事務所の開所式では、柴田社長殿および名古屋大学工学研究科の後藤研究科長の祝辞がありました。AMIは、愛知製鋼と名大の連携の研究開発会社であり、2015年に15周年が記念されました。(愛知製鋼は2015年に75周年記念でした。)

アモルファスワイヤCMOS IC MIセンサは、2002年のJST委託開発による愛知製鋼の「自動車用磁気インピーダンス素子」の開発成功後、2003年からは携帯電話用電子コンパスチップの開発を目指して半導体集積回路とのハイブリッドIC化の開発と量産技術の開発で同社は大躍進を成し遂げました。2005年の300万個から本格的量産が始まり、2011年からはスマートフォン用が加わって、2016年までの累計で1億5千万個とのことです。

従来の工業技術では、一般的に研究段階の性能を数分の1以下に落として量産されますが、アモルファスワイヤCMOS IC MIセンサの場合は、量産化で性能が高まることが確認され、工学的に驚くべき状況になっています。日本のこれからの科学技術の持続的発展のためには、「成功例に学ぶ(成功の理由を分析し解明する)」ことが重要です。そこで、アモルファスワイヤMIセンサの成功の理由を分析・解明してみましょう。

MIセンサの成功は、特殊なバルク材料であるアモルファスワイヤの優れた電磁気総合特性に支えられています。図1に、Prof. F.B. Humphreyとの議論と筆者のワイヤ表面磁区観察および山崎二郎教授(現九州工業大学名誉教授)のワイヤ断面磁区観察を考慮して確立した零磁歪系(CoFeSiB)アモルファスワイヤの磁区構造モデルを示します(ハンフリーモデル)。筆者は、1970年ごろに行った方向性珪素鋼板(3%SiFe)の研究において、磁化容易方向磁区のスパイク微細磁区におけるランダム磁壁移動が磁心の磁気ノイズの主因であることを知りました。この観点から、アモルファスワイヤにおいても、このスパイク磁区が発生するワイヤ内部中心部(Inner core)から磁気ノイズが発生するはずであるとの仮説を持っていました。この観点から、「武士田研究員のアモルファスワイヤ高周波通電による実験結果の微小磁界検出機能が表皮効果によるものとすれば、ワイヤの Inner core の磁化が抑制されて、図1の磁区モデルによるワイヤ表面層(Outer shell)の回転磁化のみで動作している可能性がある。すなわち、Inner coreからの磁気ノイズの発生が抑制されて信号対雑音比(Signal-to-Noise ratio ; S/N) の高い磁気センサ機能である可能性がある。」と思いました。と同時に、「Inner core は磁化容易方向がワイヤ長さ方向であり、反磁界も発生する。表皮効果によりInner coreの磁化が抑制されるイコール反磁界が発生しないマイクロ寸法の磁気センサヘッドになるはず。」と気がつき、武士田研究員にワイヤを1mm程度短くした実験を依頼し、見事、磁界検出感度の劣化がないことを確認できました。これで、従来の高感度磁気センサであるFGセンサの原理的欠点:反磁界によりヘッドの両端部の感度が低く磁気記録ヘッドには適用できない、が克服されました。愛知製鋼の腕時計用電子コンパスチップのMI地磁気センサでは、長さ0.56 mm (直径11.5μm) のアモルファスワイヤがマイクロ寸法ヘッドとして使用されています。同社のスマートフォン用電子コンパスの地磁気センサは、自動車の車内でも使用できるよう磁界線形検出範囲(ダイナミックレンジ、フルスケール FS)が±8 G, 磁界検出分解能は0.1 mG です。従来の高精度計測機器では、信号分解能はFSの0.1% ほどなので、愛知製鋼の電子コンパス用地磁気センサは、量産チップでもさらにその10倍以上の精度の高さがあります。これはアモルファスワイヤの磁気インピーダンス効果による原理的な高精度特性に拠っています。

磁気センサの磁気ノイズに関しては、早速NTT基礎研究所の磁性グループ(千田、石井、腰本、戸島氏ら)が パーマロイ薄膜に11GHz通電で磁気インピーダンス効果を測定し、1995年に「磁気インピーダンス効果では、薄膜磁性体のバルクハウゼン雑音が全くない」ことを報告しました。

当グループの追実験の結果は、磁気インピーダンス効果形磁気センサでは(1)(表面層の磁化回転で磁束変化し)バルクハウゼン雑音が全くない(高S/N)、(2)11 GHzの超高周波キャリアで動作し、超高速応答特性をもつ、ことを示しています。11 GHz 通電での超高周波励磁では、薄膜の内部の磁区の磁壁移動も、同時に表面層でも磁壁移動は生じることは出来ず、磁化回転のみで磁束変化が生じます。FG センサは、センサ磁性体の非線形磁化特性を利用するため、励磁周波数を高くすることができません。市販のFGセンサの励磁周波数は1- 5 kHz となっています。検出信号磁界の最高周波数は、励磁周波数の約10分の1です。

1 アモルファス磁性合金ワイヤの磁区構造モデルとインピーダンス

図1の磁区モデルでは、表面層は円周方向に磁壁が存在しますが、通電電流の周波数が10 kHz以上では磁壁移動は生じることができず、すべて磁化ベクトルの回転(磁化回転)のみで磁束変化が生じることになります。つまり、高周波通電では、表皮効果のため磁気ノイズ源のInner coreの磁化は抑制され、表面層の磁化は回転磁化のみで生じることになります。なお、通電パルス列は単極パルス列であるので、アモルファスワイヤの表面層は単磁区となり磁壁が消失します。この磁気インピーダンス効果での回転磁化のみの磁化ノイズの大きさは、カナダのProf. A. Yelon やフランスのProf. Dolabdjanら による理論解析によって、約10 fT (フェムトテスラ;10-11 G)と算出され、超伝導量子干渉デバイス(SQUID)と同等の磁界検出分解能が室温で得られることが期待されます。実際に、名古屋大学の内山剛准教授は、アモルファスワイヤCMOS IC MIセンサを構成し、1ピコテスラ(10-8 G)の磁界検出分解能を実現して、心磁気などの生体磁気検出を行っています。

アモルファスワイヤCMOS IC MIセンサは、原理的に磁化ベクトルの回転(磁化回転)のみで動作します。(FGセンサは磁壁移動が主となって動作します。)この「磁化回転のみの動作」は、磁気センサの構成や機能を飛躍的に高度化しました。すなわち、従来の磁気センサの動作は、磁壁移動を基礎としていましたが、「磁壁移動は慣性(Inertia)を伴う」ため高速応答ができません。具体的には、「従来の高感度磁気センサ回路動作はパルス応答が困難」です。すなわち、パルス応答には慣性による応答の終了時間まで待つ必要がある、ことになります。

一方、アモルファスワイヤ磁気インピーダンス効果は、磁化回転のみで動作するためパルス応答ができ、上記の「パルス通電磁気インピーダンス効果」が成立し、集積回路化が可能なMIセンサ回路が実現しました。このパルス応答は、MIセンサの超微小消費電力動作に直結しています。すなわち、磁気インピーダンス効果は、1個のパルス通電で完了するため、次の通電パルスとの間隔を自由に設定することができ、電子コンパスでの地磁気検出のような緩やかな信号磁界の検出では、通電パルス間隔(T秒)を比較的長く設定できます。さらに、1個の通電パルスでは数ナノ秒の立ち上がり時間中に応答が完了するため、パルスを持続する必要はありません。つまりアモルファスワイヤの通電電流量は(1個のパルス電流の時間積分)/ T であり、超微小電流量になります。さらにパルス応答では、地磁気ベクトルセンサ用の立体のX,Y,Z 3軸方向に設置した3本のアモルファスワイヤに、半導体スイッチを介して順次パルス通電を行う方式が取れるので、通電発振回路は1個でよく、3次元地磁気センサのマイクロ寸法化・微小消費電力化が容易になります。

さらに、アモルファスワイヤMIセンサでは、パルス通電励磁のパルス誘導電圧をワイヤ円周方向のピックアップコイル(パターンコイル)で検出します。このピックアップコイル設置の外見は、従来のFGセンサの構成に似ていますが、その機能は大きく異なります。すなわち、磁化回転のみで動作するため、原理的にピックアップコイル誘起パルス電圧の高さは、ワイヤ長さ方向の外部磁界に正比例します。このためMIセンサは直線性の非常に優れた磁気センサになっています。磁界検出ヒステリシスもゼロです。一般の磁界センサのような直線性を得るための強負帰還回路やバイアス磁界などは一切不要です。

以上、原理を詳細に解説しましたように、アモルファスワイヤ磁気インピーダンス効果磁界センサ(MIセンサ)は、スマートフォン用電子コンパスチップに適合する多くの要件:(1)マイクロ寸法ヘッド・超小型チップ、(2)地磁気磁界検出での高精度(S/N)による広域直線性(広ダイナミックレンジ)、(3)高感度(0.1 mG 分解能)、(4)超微小消費電力、(5)高温度安定性、(6)高最高使用温度、(7)高速応答性、(8)耐磁気ショック性、などをすべて兼備しています。そしてそのすべての高性能特性が円周方向に磁化容易方向をもつアモルファスワイヤの表面層の磁化回転のみの磁化動作で実現しています。従来の磁界センサにはない新原理の高感度マイクロ磁気センサです。

そして、これらの高性能性は、約10μm径のアモルファス細線に外乱応力が混入しないような細線処理方法の存在が前提です。この細線処理は大学の研究室では困難であり、愛知製鋼の量産設備の細線処理マイクロロボットの存在と、数kmの長さに亘って極めて一様なアモルファスワイヤの存在があって実現できるものであり、1億個以上の量産品チップが大学研究室の実験段階以上の高性能性を実現する背景になっています。