第9回

MIセンサ イノベーション産学官連携・特許(知財)論

2019年、愛知製鋼株式会社が2020年度にも、「自動運転用磁気ガイドシステム」の製造販売の事業化を開始する、ことが報道された( https://www.nikkei.co.jp)。

この磁気ガイドシステムは、自動運転車(バス)の車載MIセンサアレイで、安価なフェライト磁石道路マーカの磁気を遠隔で検知して、クルマの走行を、種々の道路面磁気ノイズ内で5mm以内での高精度・高信頼性で制御するシステムであり、2017年―2019年の国土交通省、内閣府主催の全国的現地公道実証試験をすべて無事故で合格した実績の上で事業化するものである。滋賀県道の駅、長野県道の駅(2回)、沖縄県、北海道道の駅(2回)、北九州市、東北BRT(2回)、羽田空港制限区域、多摩ニュータウン、の11回の現地試験で、先進モビリティ(株)の中型バスに搭載され、試験項目すべてをクリアし、他のセンサ方式のシステムでGPSの電波取得が困難な地域(トンネル、屋内構造域、樹木密集山間域など)やパターン認識困難域(積雪道路、濃霧道路など天候急変域)、夜間時間帯でも、全く支障なく稼動できる。

2020年度から、電気自動車・自動運転車時代が本格化すると言われ、自動車産業界の世界的な努力目標になっている。自動運転技術の社会的進展は、無人・無事故の完全な保証にかかっている。他の方式による自動運転車の交通事故が報道されているなかで、同社の磁気ガイドシステムの存在は、世界的に貴重である。

磁気ガイドシステムの試み自体は、過去にあった。2005年の愛知万博(愛地球博)では、来場者の会場間移動を自動運転バス隊列で行い、無事故であった。しかし、そのときは車載磁気センサアレイには従来の低感度磁気センサを用い、その組み合わせで道路マーカにレアアース密閉超強力磁石を使用したため、磁気ガイドシステムは、実用に程遠い高価なものになった。超強力マーカ磁石が、道路上の廃棄磁性物を吸着固定する交通障害も課題であった。今回、超高感度磁気センサ(MIセンサ)アレイを用いたため、道路マーカは低価格のフェライト磁石で済み、システムのコストは約100分の1になり、実用的に変身した。MIセンサの高速応答特性も重要な要素であり、磁石マーカ上の車体の通過速度に制限はない。

さて、この新磁気ガイドシステムは、「MIセンサの新応用システム」であり、MIセンサの側から見ると、MIセンサの独走状態にあり、MIセンサによってのみ実現できたシステムである。この状況は、まさにいわゆるイノベーションの3つの段階(「魔の川」、「死の谷」、「ダーウインの海」)で見れば、「ダーウインの海」航行(独走的事業)にあたるので、ここに至っては「MIセンサイノベーション」という表現が適切であると思われる。と言うことは、MIセンサのこれまでの発展の経緯を総括することで、抽象的な「イノベーションの個性」を具体的に考察できることになり、イノベーションを進展させるための「産学官連携」のありかたを具体的に考察できることにもなる。さらに、これも抽象的になりがちであるが、「発見および発明とはなにか、イノベーションにおける発明の役割」も具体的に論じることができることにもなる。

1. わが国の科学技術創造立国、知財立国とイノベーション

わが国は、1960年代から2000年代の約40年間、高度成長を成功させ、その必然的結果として「超高齢社会の持続的発展」の追究の時代へ移行している。2001年に科学技術基本法を制定し、「科学技術創造立国」、「知財立国」を国策とし、科学技術振興の5ヵ年計画(科学技術基本計画;予算は年1兆円、5年で5兆円)を実施している。2001年に「内閣府」を設置し、科学技術・産業社会の計画的発展の柱に「科学技術イノベーション」を設定して、SIPという戦略的イノベーションプログラムの5ヵ年計画を実施している。この方式は、欧米がモデルであり、約20年ほど後発となっている。

ところで、「イノベーション」という「科学技術による経済発展の理論」の普及のために、

平成18年版科学技術白書のコラム目次No.07で、文部科学省は、以下のように「イノベーションとはなにか」を解説している:

イノベーションとは
  イノベーションという言葉は、オーストリアの経済学者シュンペーター(Schumpeter) (1832-1850年 ハーバード大)によって初めて定義された。その著書「経済発展の理論」の中で、経済発展は、人口増加や気候変動などの外的な要因よりも、イノベーションのような内的な要因が主要な役割を果たすと述べられている。また、イノベーションとは、新しいものを生産する、あるいは、既存のものを新しい方法で生産することであり、生産とはものや力を結合することと述べており、イノベーションの例として、①創造的活動による新製品開発、②新生産方法の導入、③新マーケットの開拓、④新たな資源(の供給源)の獲得、⑤組織の改革などを挙げている。

 第3期科学技術基本計画においては、潜在的な科学技術力を、経済・社会の広範な分野での我が国発のイノベーションの実現を通じて、本格的な産業競争力の優位性や安全、健康等広範な社会的な課題解決などへの貢献に結びつけ・・・

この文部科学省の解説の背景には、2006年米国の大統領一般教書演説でのイノベーション重視があるが、イノベーション国家米国のように、感覚的に理解することは困難であり、身近なイノベーションモデルで理解に努める以外にない。「イノベーション」は、「産業革命」以来勃興した欧米の科学技術文明の方法(精神)であるので、その感覚は、欧米の科学技術文明の長期的流れを調査して、直感的に把握する以外にないと思われる。

「イノベーション」は、シュンペーター(シュムペーター)が著書「経済発展の理論」(1912年)の中で定義し、その諸側面を分析しているが、欧米の科学技術の隆盛を「産業革命」として明確に指摘したのは、トインビーであり、イノベーションを起こす企業経営者の経営の方法を分析したのが、ドラッカー「イノベーションと企業家精神」(1985年)である。すなわち、イノベーションとはなにかなどを把握するには、少なくともトインビー、シュンペーター、ドラッカーの3人の経済学者およびケインズの著作を通読することは必要であろう。筆者もそのように努めたが、筆者の仕事である「発見・発明」の視点では、ドラッカーの上記の著書にも「イノベーションと特許(知財)」に関する記載が見あたらないのが、不思議である。恐らく、時代的に社会イノベーションが重視されていて、技術イノベーションが未発達なためと思われる。しかし、「発見」と「発明」によるリスクの違いに関する実例の考察は貴重である。

2. 魔の川、死の谷、ダーウインの海

わが国でも、企業内等やビジネス分野で広く流布し、使用されている用語である。とくに、新規事業の進行を自己点検、自己評価できるような便利さがある。用語のイノベーションという見方もできる。しかし、その出典はいまだに不明である。巷の流行り歌のような面がある。

筆者も、上記3人の経済学者の著書の中を点検してみたが、不明であった。つまり、学術的ではないが、便利な実際的用語である。「魔の川」は、原理的発見が、産業界で開発段階に進むかどうかの段階である。「発見」と「発明」の関係を示唆する段階でもある。この「魔の川」とはミシシッピ川のこと、という面白い説もある。イノベーションの国米国での「西部開拓」との対応である。その対応からは、「死の谷」(産業界で、開発から事業化へ向かう関門)はコロラド渓谷、「ダーウインの海」(独走状態のビジネス展開へ発展する関門)はガラパゴス諸島がある太平洋、であろう。

3. MIセンサイノベーション論

MIセンサの発展の経緯(図1)を総括すれば、この3段階の用語がぴったり当てはまる。

MIセンサの発展の経緯から、

「イノベーションとは、社会の新しい変化の潮流を予感し予測して、その潮流を加速する(社会的要請に応える)発見・発明を行い、産学官連携によって長期的に推進することであり、その経験の上に、新たなイノベーションを生じる応用発明開発を誘導し、独走的事業を展開することである。」と言える。

このイノベーションプロセスは、イノベーションの総括における社会変化の歴史の調査によって判明するものであるが、MIセンサの場合の社会的要請では、1985年の日本における「通信の自由化」がある。(英、米では1984年)この通信の自由化では、自動車電話を契機に携帯電話の社会的普及の潮流が現れ、日本発の携帯電話サービスの「電子コンパス」開発の熱気が立ち上がった。「通信事業の民営化」に伴う新規企業の事業の目標のひとつである。そしてその実現の鍵である「高感度マイクロ地磁気センサ」の待望が、学会等を通した国際的な「社会的要請」であった。

筆者は、この社会的要請に応える発見を1993年に行った。「アモルファスワイヤの磁気インピーダンス効果」である。筆者の名古屋大学の研究室では、この発見の前段階として、アモルファスワイヤ(1981年東北大学増本健教授研究室にて開発)の種々の磁気効果を研究してきており、その成果を1992年の米国西海岸におけるMRS国際会議にて招待講演を行い、同会議にて、Prof. A. Fert の Giant Magneto-Resistance (GMR)の講演も聴講した。GMR は上記の社会的要請に応える発見として注目されていた。聴講の結果、GMRは磁気センサの感度が不十分であることが判明し、筆者が新発見を行う、との決意を新たにした。

この発見の成果を筆者は、即時に文部科学省系の独立行政法人科学技術振興機構(JST)に特許申請の依頼を済ませた後、同年のRQ-8(仙台)で公表し、聴講した米国電気電子連合学会(IEEE)応用磁気(Magnetics Society)の主要メンバーの企画により、翌年1994年の国際応用磁気会議INTERNAG’94, Albuquerque にて Special Session on Magneto-Impedanceが開催され、筆者は招待講演を行った。そこで、「アモルファスワイヤの磁気インピーダンス効果」が社会的要請に応える発見であることを確認した次第である。この発見の価値は、翌年1995年に筆者がIEEE Fellow Award に表彰されたことからも、確認できた。(15年後2010年にIEEE Life Fellow)

1994年、JST の担当官が INTERMAG'94,Special Session on Magneto-Impedance の開催に注目して、研究の支援を提案し、付帯条件として、「新規発見を企業が開発し易い段階に進める」ことを要請した。良い意味での適切な「官圧」である。筆者はこの官圧に応え、4年後の1997年に「アモルファスワイヤのパルス磁気インピーダンス効果の発明とCMOS IC 電子回路による集積回路製法可能な高感度マイクロ磁気センサ電子回路(MIセンサ)の発明」を行った。そしてJSTによる「先端技術展開試験制度によるハイテクコンソーシアム」が1998年に開催され、いわゆる産学官連携が立ち上がった。そして、このハイテクコンソーシアムに参加した愛知製鋼株式会社が、1999-2002年、JSTの委託開発制度で「自動車用磁気インピーダンス素子(MI素子)」の開発に成功した。そして上記の社会的携帯電話文化の潮流に載って「電子コンパス事業」を展開して行った。

そして、同社は電子コンパス事業で鍛えたMIセンサ製造技術を基礎に、新たな社会的要請である「絶対安全な自動運転車(バス)技術の創出」に取り組み、MIセンサの応用として「新磁気ガイドシステム」の発明・開発を成功させて、MIセンサの独走的事業の展開をスケジュールとして公開した。

1 MIセンサイノベーションの経緯と3段階

4. 発見、発明、特許の価値について

わが国では、2004年からの国立大学法人化以降、各大学に知財本部を設置し、特許等の知的財産を申請し易くなっている。知的財産は、特許に代表されるが、わが国の特許法は昭和34年(1959年)に改正され、その第1条には「発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もって産業の発達に寄与することを目的とする」とある。2001年からは、「科学技術創造立国」、「知財立国」が国策となっており、産業は、イノベーションの創出を産学官連携で推進することで発達させることになっている。したがって、イノベーションと特許(知財)は密接な関係があるが、具体的なありかたは、明確ではない。

上述の「MIセンサイノベーション」では、イノベーションの推進には特許が重要な役割を果たしている。

MIセンサイノベーションは、1993年発見の「アモルファスワイヤ磁気インピーダンス効果」が出発点となっているが、筆者がこの効果を発見して(実験結果を表皮効果のインピーダンス理論で分析し確定させ)ただちにJSTへ特許申請を依頼した。国立大学等の「学」の研究者にとって、「研究のオリジナリティ」は命綱である。この研究(発見)のオリジナリティは、特許で保証されるので、特許の申請は特に緊急で重要な作業である。社会的な要望へ応える「発見」ほど、世界中の研究者の注目を浴び、ただちにオリジナリティの奪い合いになり、油断すると、オリジナリティがうやむやにされてしまい、研究者の存在意義があいまいになってしまう。研究者の命取りである。欧米の著名な国際会議の招待講演者になっても十分ではない。注目度が高いほど、開催される特別セッションの招待講演者が多数となり、独創的研究者が曖昧になる。わが国では、2001年以降は、各大学に知財本部が配置され、重大な発見は、学会等に発表する前に、特許申請を行う体制が整備されている。

イノベーションとくに「科学技術イノベーション」の質の高さは、その産学官連携組織が基本特許を保有しているかどうか、で決まる。「学」の研究者の最初の仕事は、「発見の特許申請」である。これが、そのイノベーションのオリジナリティの保証になり、将来国際的にビジネスを展開ができる基礎となる。

さらに、イノベーションの第一関門(段階)の「魔の川」渡りでは、世界的な「発見」を産業界が最新の技術で開発しやすいように、「発明」を行うことが必須になる。MIセンサイノベーションでは、「発見」と「発明」の関係が明確であった。この「発見」から「発明」の段階への進出は、「官」の支援があっても、「学」の重要な主体的役割である。これは工学系研究者の「学問の自由」を超えた役割であり、「学」の研究者の意識改革が必要である。

おわりに

「MIセンサ イノベーション」の視点を設定する時期が到来したため、視点設定の合理性や視点設定のいろいろな効果に関して調査を実施した。その結果、筆者も勤務した科学技術振興機構(JST)での経験を元に、わが国の「科学技術振興行政」での「科学技術イノベーションとはなにか?」、「社会的要請とその変遷」、「産学官連携のありかた」、「「魔の川」、「死の谷」、「ダーウインの海」の実体と使い方」、「発明と発見、とくに発見から発明への進出の特別の意義」などの重要な疑問点が、実体験に基づき、氷解する場面が多いことに気がつき、本コメントを記載することにした。

まず、社会的変遷は大きく、1960年代―2000年代の高度成長期は、経済も大きく成長し、科学技術が社会を変える力に成長した。この期に、期せずして日本ではイノベーションを体験している。この高度成長の必然的結果として「超高齢社会の到来と、科学技術による社会の持続的発展を追及する時代」へ入っており、「この持続的発展を、産学官連携による科学技術イノベーションで実現する。」との方針は賛同できる。

「産学官連携のありかた」に関しては、「学」の画期的な「発見」を、「産」が最新技術で開発し易いように「学」は「発明」の段階に進むことが必要であり(「魔の川」を渡る段階)、このとき「官」によるタイミングのよい「官圧」が有効である。」「産」は、社会的要請を察知して事業展開を企画するので、「学」は、社会的要請に応える発見を行う必要があり、そのように鍛錬する必要がある (「学問の自由」と「科学技術の主体的研究」を吟味すること。)。

「発見」と「発明」と「特許(知財)」はワンセットの概念である。「学」は、社会の要請に応える画期的発見・発明を行うことが仕事であり、そのときただちに「研究のオリジナリティ」を確保・保証することに留意する必要がある。「特許出願」は有力な方法である。「研究の国際的オリジナリティの確保は、研究者の命である。社会的に意義の高いイノベーションは、それを推進している産学官連携の組織が、基本特許を保有しているかどうか、で決まる。

2019年は、数度の雨台風の襲来で多くの災害が発生した。われわれは、この防災の面だけでも、人類の科学技術力の限界を痛感している。科学技術力は、自然災害に対しては不十分で未発達である。大都市での人工的環境の範囲内での特定の条件下において効果的である。この科学技術力の限界を認識しつつ、モノつくりや、自動運転などの人工システムの条件下で「絶対的安全性」などを最大限追求する必要がある。

2019.11.14